october[ soutine und ratte]

骨というのは とてもウツクシイ物質のひとつだと思う

一等 好きなのは とうこつ  頭骨  
特に好きなのは 小さな頭骨
鳥の頭に触れるとき いつも その中の薄い薄い厚みの頭骨の
様子を想像する。 指先に 堅く そして勤勉な感触
  
いつだったか 知り合いにバラバラになってしまった鼠の
骨をもらった
カツオブシムシというのが いて その虫に亡骸を与えると
いつのまにか きれいな骨にしてくれるそうだ

鼠の骨は はかなくって その過程でくずれてしまったという

昔 昔 私は なんの価値もない二束三文の小さな本をほこりくさい
古書店で見つけては 包装してもらうのもためらわれるくらい 安い値段で買い
ポケットにいれては シアワセナキモチになっていた

楽譜だったり 画集だったり 辞書だったり 

小さくって 私のまなざしにとって 感触のいいものだったら なんでもよかった

ネズミのように 自分の領域にそれを運んでは ためていた
オイシイゴハンのように

そんな 楽しみもいつのまにか しなくなっていたのだけれど

鼠の骨を見ていたら そんなオイシイゴハンの中に
ぐにゃぐにゃで 骨のない人々がいる
SOUTINEの画集が あったことが
ふっと浮かんで  その頁の上に骨を
配置してみる  とても楽しい

鎖の端切れも置いてみる 画面のそこには
違うモノがある

たった これだけの装置で!

+


ふたつのモノが出会うこと
蓄えられた日常の空想の中で
配置のための地図としての肖像画の中に眠っている要素
掘り起こすための器具として用意された
小さくそしてウツクシイモノ