物質のまなざし_material glance
現実を視ている感触よりも
13ミリくらい浮いてしまっているような様子な
そんなふうにどこかしら定まらないでいる自分の視線を
あやす方法を見つけられずにいる日々のなかで
1987年11月11日に小さな実と錆びたワッシャーを拾った.
そのふたつを手元にあった硝子板のうえに ただそっと
並べたことが material glance の始まりだった.
いつのまにか
わたしとわたしの視線は別々に行動するようになり
わたしは現実を生き
わたしの視線は 13ミリくらい浮いた様子で生きている
わたしの視線が 出会い選び取ってきたモノを
わたしは また もう一度フィルターにかける癖がついた
わたしの視線が好ましく感じ 出会い 選び取ったもの達を
硝子板のうえに[世界を再構築するように]並べあわせるうちに
配置を少し変化させるだけで 思いがけないような干渉の効果を
観察できることに気づいた. 眼の愉しみ.
そうして この方法がわたしの眼には大切な訓練にもなっていった.
{なにが一等ウツクシイか わかるから}
そうやって自分のまなざしをフィルターとしてものに
重ね合わせてゆくことで 定まらなかった視線は 任務のある
飛行士のような / 勤勉に働く庭師のような態度をもつようになり
価値のないモノにこそ 別な次元の価値を与えるということが
わたしのまなざしのすべきことであり 望みであり 願いになった.
material glance は見るための装置であり 見ないための装置でもある
まなざしの計算は常に続いている.
ポケットの中で指を動かして 閉じた口の中で舌先を動かして瞼を閉じて
ことんと 放り出してみる
もの達の印象や感情を.「配置する」ことは 自身の視線をもう一度かき混ぜることだ.
つねに眼を新しくしていたいと願う 結晶化することはなく
終わりようのないことでもあるとわかってもいる
だからこそ夢みるようにずっと続けていく.
配置のベースは 最初の透明な硝子板から焼成した琺瑯板へと変わり
そして10センチの区画サイズではおさまらない様子に思案して
40×30センチの箱を石膏とガーゼで作り その上面に配置をしてゆく形に落ち着いた.
石膏の箱の内側に部品を収納しておく 箱は薄い段ボールでカバーをして
カバーの表面に部品を並べた説明図としての写真を貼った.箱にはいりきらないサイズの部品には
それぞれの大きさにあわせて箱を作り それにも写真を貼った.
ある時にその石膏の箱の内側での無造作な状態の部品達もとても好ましく感じ
「箱入り娘」シリーズと名付けて<配置すらしない>方法も試すようになっていった.
「箱入り娘」は 部品としてあった小さな箱やそれ用に仕立てたフレームの中に部品をいれてゆく方法で
間に透明なアクリル板を挟んで2階建てになっている箱もある.
接着剤で留めた固定部品とそのままいれる自由部品があり 視る側がささやかな行為として まず箱を動かして
配置を変えていくことができる.
そのオハナシができあがってゆく仕組みを楽しみながら 部品の小さな動きを追う視線は上等で純粋なものだ.
旧い写真を見ていると 当時の瑞々しいような 子供のように可愛らしく感じる部品達に微笑みたくなる.
どれもこれもひとつひとつをよく覚えている自分にも微笑みたくなる.部品達のさまざまだった質感は
長い時間の経過で 色褪せ 黄ばみ そしてウツクシク切ないフィルターとしての埃に漬け込まれていき
美しくもあり痛々しくもありさまざまな様子を見せてくれる.
時間というものも大切な要素なのだと実感する.
そんな風にして material glance{物質のまなざし}は
わたしにいろいろな感情やオハナシや世界を構成してゆくための好ましい術としてあり続けてくれる.