april-may [her organ]

予備校で 
鉛筆デッサンで石膏像を描くことは
そんなに苦痛なことでは なかった

硬質な線を勤勉に重ねたりすること
擦った鉛の鈍い暗部の様子も好きだった
モノの部分 部分の距離をそういった線で表現できることに
うれしさが あった

水彩で描く静物画は とても苦手だった
輪郭と量感
対象の形を目でなぞる
紙に視線を移すと
一瞬前の解釈は どこかにいってしまう

核になる水彩のしたたりを
最初に紙におくと
なんだか もう わからなくなってしまう
目の外のモノを書き写すことは
そのころの私には 苦痛だった

風景も苦手だった
見ることも 描くことも
視線が定まらない
ぼんやりと自分の視線を存在させることができなくって
苦痛だった

では  なにが 私の視線の居場所だったんだろう
夜中に窓に映った自分を見てぼんやり 考える

外への視線  内への視線
作品を前にして なにに興味があるのですかと
真面目に聞かれた
自分が なにを見ているのかいえ 
逆に自分がなにを見ないでいるのかというコトと
答えてしまった
ソレデヨカッタカシラン


たとえば 電話をしながら なんとなく描きなぐった線に
はっとすることが ある
描くということに とてもコンプレックスを抱いて
生きてきた者としては

そうそう そうなのだよね って笑ってしまう
ホントウハ コンナフウニ アルベキ ナンダ って

なんにも 考えないで鉛筆を走らせる
ごくごく 小さな範囲で線の重なりの中で消しゴムのカスが
まるまるようになにかしらが あらわれてくる

アラ イラッシャイ って
おはじきが こつぃん って あたったような音が する
そんな 時は とても嬉しい

おはじきの作法が 私は とても好きだ
それは こうした ささやかなドローイングを描く作業そのままだ

手の中にガラスの小さな感触を抱え
てそっと 場をつくる

こっち と こっち が私は 欲しい
ふたつのおはじきの間に指を通す ふたつの間を埋めるおまじない

目測 ささやかな 力加減
長い力 短い力

最後のふたつは 世界をまわすように くるくると回転をつけてかちあわせ
世界を 場を閉じる 完結させる おまじない

おはじき遊びをするように
線を目測してゆくことが
私のやり方なのだと 思う