言語とオブジェ

大森裕美子にとって言語とオブジェは不可分なものとされている。というよりもオブジェこそ言語であり、詩で在るのだ。コーナー空間を表す製図用紙にマーキュロクロムで描かれた断片的な形象の作品が展示去れていた。異なるコーナー空間の特性は異なる言語系列を示し、断片的形象はその中の語法のひとつとしてオブジェ化されることがこの図案で示されているように感じとられた。デュシャンは落下した糸の偶然の形で万物に対する自分だけの尺度を獲得した訳だが、大森は道端で拾ったものを彼女の表現体系にとっての「停止原基」とする。5階付設ギャラリーに展示されていたマーキュロの塗布されたオブジェは、拾ったガラス片の形をもとにして拡大されたものだという。拾得物を原基としてこのようにオブジェ言語は作りだ去れるのだ。石膏とマーキュロ染めしたゴムを組み合わせた一階メインギャラリー内のオブジェ群からは、静かだが奔放な詩的韻律が聴こえてくるような気がしてくる。大森にとっては、あらゆる些細なものが見逃しがたい繊細さを携えていて、その無数の繊細なものに対する無数の発見によってわれわれの日常は大きく変容すると考えられている。作家は「わたし達を満たすウツクシイ熱狂というものがそこかしこに微笑みながら眠っていることに気づかねばならない」と語っている。ここでは拾得物によって石から言葉を生み出す詩的錬金術が現代において必要にしてかつ最も有効なものとして確信されているのだろう。

1994 BT1月号 清水哲郎